半導体バブル~現在まで、エンジニアとして、ずっとIT業界に身を置き続けています

はじめまして、クラフでエンジニアとしてお仕事をしている小田です。弊社ブログのセキュリティ関連記事の監修などもやっています。

時代はバブル崩壊後の未曾有の経済危機の中就職し、以降半導体バブルやITバブル、次世代IT化の波を経てその場に身を置きずっとエンジニアとしてやってきています。

まずはどういった人物なのかを過去の業務や経験等を振り返り、今後の記事のベースとなるものを紹介したいと思います。

バブル崩壊後

まだ世の中にインターネットが普及しておらずダイヤルアップからISDNに多少遷移しつつあり、一般家庭にもWindowsが出回っておらずOSバージョンはWindows3.1からWindows95に変わろうとしていた時代、半導体エンジニアとして社会人デビューしました。当時は多少PCは触っていましたがブラインドタッチもできないようなPCスキル0状態、与えられた端末はWindows95のPCとUnixのSolaris(バージョンは覚えていない)。

電気電子専攻のため電気回路はある程度わかる程度、Windowsに関しては業務で使用というよりはサブ機でメールやWordでのマニュアル作成で使用する程度でした。

基本的な業務はUnixの黒い画面ベースでコマンドによる作業やCADで電子回路作成や半導体デザインをやっていました。半導体の場合、一回作ってしまうと不具合があればその基盤自体が商品になりません。

そのため正しく動作するかシミュレーションや自動テストなどこの黒い画面でプログラムを回してログを確認するというようなことをやったり、工場から出来上がってきた半導体のテスト治具を作るために一日中ハンダ付けしたりなどをやっていました。

この業務の中で数10万行にも及ぶシミュレーションログの集計などを楽にできるようにAwkやPerlなどでスクリプトを書き始めたのが「ハード業界」から「ソフト業界」へ転職するきっかけになりました。

この頃は半導体バブルだったので作れば作るほど儲かる時代で、休みなく仕事していたイメージです(苦笑

インターネット黎明期

世の中はADSLの普及やCATVでのネット接続など一般家庭にもネットがあって当たり前になるちょっと前の頃に半導体バブルのかげりが見え始めました。

仕事で覚えたPerlなどのプログラム言語は動的サイト(当時でいえば掲示板やチャットなど)を作れるということを知りプライベートでホームページ作成や動的サイト作成にはまりそのまま「ソフト業界」へ転職しました。

アクセシビリティ、web2.0というようなあったのかどうかすら曖昧なバズワードまみれでしたがいい意味でインターネット時代の幕開けの雑然とした何が正解かもわからないごちゃごちゃした、でも活気があるいい時代でした。

ウェブデザイナーやウェブシステム開発などをやりつつ、お客様と対面で要件を詰めていくというような開発の初期段階のディレクションや設計なども行うようになりました。

そのタイミングで情報系専門学校の先生が不足しているため先生をやってみないかと声をかけていただき未体験の「教育」という分野に身を置きました。

ウェブサイト構築やWEBシステム開発などやってはいましたが、今ほどネットが便利ではない時代なので独学での知識ではまずいと改めて基本からしっかりと勉強しなおしたのがこの時期です。ITテクノロジ、情報リテラシ、法関連など、どちらかというと飛ばしてしまいがちな基本分野を教えるという立場から改めて見直し基本の大事さに気づくことができました。

この時期に情報系国家試験(基本・応用・セキュスペ・ネスぺ)やベンダー試験(シスコ・オラクル・マイクロソフト・Linux等)など一通り取得し知識ベースは完成したと思います。

大規模開発や運用

その後、「モノを作る」ということをしたく、小さなベンチャー会社に入りWEBシステム開発を行ってきました。ここでは会社の成長に合わせて大きく複雑になっていく要件やシステム、1000台を超えるサーバ管理運用など、それに合わせてのメンバーの人材育成や開発フロー改善など多岐にわたる業務を行い知識と経験が身についた時期でもあります。

特にシステムを運用していくと障害が発生することがありますがこの障害対応が時間との戦いで想定していないことへの対応なのでいい経験になったと思っています。

まとめ

現在のIT業界は仕事の入り口に立つまでのハードルが高く、何も経験がない状態でこういった業界への就職の難しさというものを実際に目の当たりにしています。

そういった何も経験がないけどもエンジニアとしてお仕事をしていきたいという方への参考情報やQ&A、Tipsなどを綴っていければと考えております。